風立ちぬの感想

日曜日に、久々に映画館でジブリのアニメを観た。「風立ちぬ」だ。
この映画は、いろいろと、内容について世間で話題になっているところがあり、とても興味があった。

映画館に行ってみると客層は、以外と年配の方が多い・・・孫を連れてという姿もあった。
やはり、戦争映画なのかな?
ネタバレをなるべくしないようにちょっと深読みした感想を話題にあがっていたことを検証する形で書いてみようと思う。

この「風立ちぬ」のストーリーであるが、思いのほか単純た。
だから、何気なく見ていると、もしかしたら、何も残らない映画かもしれない。


映画館に入って、とても長〜い宣伝が終わり、本編が始まった・・・
アニメーションとしては、とてもソフトタッチなイメージであるが、さすがにデジタル化されているのか、画質はとてもシャープだ。

《音》
最初に話題になった、音を人の口で表現するという話題だけど、
これは、別に興味は惹かなかった。
TVなどで紹介されていた人が口で作っていた音はここなんだなってところがあったが、別に音に違和感もなく普通に聞き流せる感じでふ〜んといった感じだ。
まぁ、素の音ではなく、原音が口でありそのあと、デジタル処理をしている
のだから、特別なことではないだろう。

《喫煙》
まず、喫煙のシーンだ。
どこぞの団体が、喫煙のシーンの多用はけしからん、という指摘。
これは、映画を観て思ったのだが、喫煙のシーンにいちゃもんを付けるのは、ちょっと的外れな感じを否めない。
確かに、事あるごとに喫煙のシーンが多用されている。
しかし、よく考えてみると、昭和初期とかの時代では、タバコは今のように健康に気をつけて禁煙するなんて概念がなく、喫煙マナーなんて概念もさほどなかっただろうと思われるからだ。
子供のお菓子と同じで、大人の嗜好品として人気があったものだったのだろうと思う。
風立ちぬ」の映画の中で、場所を選ばず喫煙するシーンは、昭和初期あたりの時代をとてもクローズアップさせてくれるアイテムになっている。
考えるシーン、途方にくれるシーン、迷うシーン、仕事のシーン・・・
それぞれのシーンで、違和感なく当時の生活感が伝わってくるのは、喫煙のシーンが一役かっているのではないかと私は思う。。
だから、私が思うに、この映画には喫煙のシーンは重要なことなのだ。

ゼロ戦
次に、主人公のモデルがゼロ戦を作った人物ということから、戦争を美化しているという指摘。
これは、どこぞの国が悪意を持った言いがかりと言わざるを得ない。
風立ちぬ」をちゃんと観れば、この指摘をしたことが馬鹿げていることが容易にわかるであろう。
そう、「風立ちぬ」は、全く戦争を美化した映画などではない。

しっかりと映画を見ていれば、主人公のセリフや態度から、戦闘機であることがゆえに、性能が出せないという意味の言葉を吐いている。(どういう言葉かは、映画を観て当てて欲しい)

主人公のモデルである堀越二郎氏の日記にもあるように、終戦後、平和への願いを込めた一文があり、特攻などに使われたゼロ戦への哀れさ、悲しさを綴っている。
映画の中にも、それを間接的に表現しているところがが、航空機の設計シーンや映画の最後のシーンなどに散りばめられている。

《ラブストーリー》
この映画いは、ラブストーリーか?ということ。
これは、この映画を観れば、誰もが当時の悲しいラブストーリーであるとわかると思う。
宮崎駿のアニメの真骨頂でもあるように、非情に気持ちの描写がうまい。
特に、軽井沢のホテルで紙飛行機を飛ばす二人のシーンはとても印象的だ。
ここで、考えなくてはならないのが、なぜ、主人公のモデルが堀越二郎なのか?
元々、言わずと知れた堀辰雄の小説、「風立ちぬ」である。
そして、「菜穂子」という小説もこの映画に盛り込まれているらしい。

では、なぜ、ハッピーエンドのストーリーではないのか?
なぜ、堀辰雄の小説がこの映画に必要だったのか?
なぜ、SEXを連想させるシーンが必要なのだったのか・・・?

それは、堀越二郎が活躍した時代背景にある。
主人公の憧れである空を飛ぶことことが、航空機として現実のものになり、それが進化して、優秀なものを造る。
しかし、それは、必然的に戦争の人への殺戮のツールとして使用される運命にあるものになる。
優秀な航空機を作ることに情熱を注ぎ、成功すれば、それは人の殺戮の道具として使われる結果の矛盾と非情さ。
それを、小説、「風立ちぬ」(と「菜穂子」)のシーンで、人の生死をたとえ、死を間近なものにとらえながら、間接的に戦争で命を落とした人々への思いを表現したかったのでは?と思う。
結核を患い短命な人生である運命にある菜穂子と、戦争で命を落とさざるを得ない人の運命とがシンクロする。

映画終盤に、ゼロ戦が編隊で飛ぶシーンがある。
激しい戦闘シーンではない。
草原を爽やかさが残るシーンだ。
しかし、その裏には、ゼロ戦ということで、戦争で人が死ぬことを連想させる。
そう、それは、終戦間近に行われた特攻を表現しているように見えてならない。
無駄な死であったと思いつつも、そのような時代であったことへの悲しい事実。
しかし、悲しい事実があっても、そのときの技術や熱い憧れへの思いが確実に継承され、現代社会に生かされていることを知る。
そして、その高度な技術の恩恵を享受している私達を重ねて描いているのだろう。
というのが、私がこの映画、風立ちぬを観ての感想だ。

宮崎駿の狙い》
では、この映画は何をメッセージとしてしているのだろうか?
宮崎駿は、もしかしたら、この映画には、メッセージ性をいう意識あまりなく作成したのではないだろうか?
でも、これだけのものを造るのだから、強いて言葉で表現する方法はあるだろう。
それは、きっと、戦争で散ったすべての人へのレクイエムというのが一番しっくりする。
戦争というキーワードから、今、隣の国との衝突から始まる今後の日本が向かうところを宮崎駿は、心配しているのではないのだろうかと思う。
多分・・・

観る人によってその感想はそれぞれまったく違うものが出てくることが狙いの映画・・・なーんてね。
この映画は、非情にシンプルなストーリーながら、非情に難解な映画だと思う。
子供には、面白い映画と映るのかはとても疑問だ。

今度は、DVDが出たら、見てみようかと思う。
もしかしたら、今と違う感想になるかもしれない。